なぜ手段が目的化してしまうのか

投稿日:2019.01.13

「遊んで学んで繋がろう!」を合言葉に月1で開催している、働くみんなの静岡おしゃべりナイトも、おかげさまで第6回を迎えました。
今回も新たな出会い、そして学びがありました。毎月、ゲストスピーカーより仕事内容やその現場の中でリアルに感じていることをスピーチして頂いておりますが、今回のゲストのお話の中にあった、手段が目的化しないよう強く注意を払っているという内容に共感いたしました。

この手段の目的化現象は、私自身もよく反省することですし、身の回りの仕事や活動の中でよく起きてしまう現象です。

富士登山に例えるならば、目的とは何のために富士山に登るのか?です。
手段とは、その目的を達成するために「富士山登山イベントに参加する」といったものになります。
それを踏まえると、本来であれば目的がなければ手段など生まれるはずがないのですが、日常の中では頻繁に目的なくして手段が生れてしまうのです。前述の例にあわせてご説明すると、友達のAさんから「富士登山イベントに一緒に参加しよう」と誘われて参加を決める。主催者のBさんにお世話になっており、お願いをされて断れず参加を決めるといった具合でしょうか。

さらに踏み込んで言ってしまえば、主体的に目的を持ち、自ら手段を検討し選択できているケースは極めて少ないことに気がつきます。この手段の目的化現象は目的がないのですから、言い換えれば他人ために時間を過ごしているとも言えるのではないでしょうか。あのスティーブ・ジョブズもスピーチの中でこんな言葉を残しております。「あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄にしてはいけない。」他律から自律へ。私は自律することこそが、相手への真の思いやりに繋がると信じております。

1/11の社会保険労務士会富士支部新年会の前に、富士山世界遺産センターを見学しました。500年も前に富士登山をしていたであろう修験者の展示等を観賞し、先人たちが富士山に登った目的と、そのために選択した手段(登山ルート)が見事にリンクしていることに感銘を受けました。車も通信機器もない時代に富士山に登ることは、非常に過酷な修行であったはずです。古から人は自律的に物事を考えた時にこそ本気になれるのかもしれません。