多様であることの意味

投稿日:2019.04.21

働き方改革が始まり、いっそう多様性が叫ばれるようになったように思います。弁護士の向井蘭氏の著書『労働法のしくみと仕事がわかる本(日本実業出版社)』によれば、働き方改革の国の主たる目的は国力の維持である。これからは男性現役世代の減少が明らかである。これからの日本の労働社会は非正規雇用・女性・パートタイマー・高齢者・外国人等、様々な方の労働力が求めることになると述べられています。
そのような背景から、性別、年齢、人種などさまざま違いを持った人材がお互いに尊重し合って働ける環境を整備すること、つまりダイバーシティ(多様性)が重要視されてきていると理解しています。

私はこれまでの人生経験から、仕事やスポーツにおいて一人ひとりが持つ個性や価値観を最大限に生かしたチームづくりの必要性を痛感しています。そして、多様であればあるほど、一つにまとまった時には強さを発揮できることも体験してきました。
しかし、最近ふと思うことは、私たちは本当に多様性に富んだ人材に育っているのかということです。確かにグローバルな時代となり、外国人と一緒に仕事をしたり、性別や年齢の異なる仲間とチームを組む機会は多くなったように思います。そういう意味では性別、年代、国籍といった違いはあるのかもしれません。

ただ、一人ひとりの人間の内側である個性や価値観の面においては、本当に多様な人材が増えているのでしょうか。もしかしたら、インターネットが普及し、手軽に他人の応えが手に入る環境になり、自分なりの応えを考える機会がなくなり、むしろ画一的に育つ傾向すらあるのではないか。そう考えることがあります。

多様性を維持するためには、多様性そのものが必要だと言われます。幕末は日本の歴史上で最も多様な時代であったと言われていますが、それは全国の様々な地域で育ち、それぞれの立場で真剣に国や藩の未来を考えた。そういった自律した人材同士が切磋琢磨し、お互いを磨き合ってきたから多様性が生まれたのではないかと思います。多様な生物がいるほうが、画一的な生物群より、環境に適応し生き残れる可能性が高いと言われます。そう考えると、今の日本は真の意味で多様であるのか疑問に感じる今日この頃です。

昨日は空き時間を利用し、祖父の墓参りをするために久しぶりに清水へ。ついでに、少年時代に遊びまわっていた船越公園をジョギング。言葉では上手く説明できませんが、生まれ育ったまちにはやはり愛着があります。目に見えるものはもちろんですが、音や匂いも何となく好きな気がします。加齢が原因でしょうか。とすると齢を重ねるのも悪くないように思います。笑