最後は人。いや、最初から人。

投稿日:2018.10.14

先日の連休を利用し、大学時代にサッカーボールを蹴りあった仲間たちと高尾山ハイキングに行ってきました。

初めて高尾を訪れた私は、観光地として賑やかな高尾山を登れるのかなと楽しみにしていましたが、35歳を過ぎた男たちには一人ひとり思うところがあるらしく、あえて厳しい道を選ぶことになり、高尾山のルートから外れた横道から登山を始めることになりました。
初めての道のため、迷うことばかり。その都度、先導役の坊主ヘアの仲間が「道が二つあるなら、俺は厳しい道を選びたい」と意味深に呟き、みんなが頷きついていくというスタイル。学生時代の頃を思い出しながら、気がつけば6~7時間程歩き続けていました。最後には道がなくなり、どのように工夫して下山するかというアドベンチャーまで体験することができました。

 

昔の話、今の話、これからの話。色々な話をしましたが、長時間繰り広げられたおっさんトークを総括すると「物事の成否は、最後は人で決まる」ということだと勝手に要約しました。高尾山駅前の食堂で一緒に蕎麦を食べて解散。富士の事務所に戻り富士山を眺めて、ふと「ところで、俺は今日何という山に登っていたんだろうか」と考えました。すると、およそそんなタイミングで短髪ヘアの仲間から次のようなLINEがはいってきました。

実力の差は努力の差
実績の差は責任感の差
人格の差は苦労の差
判断力の差は情報の差

真剣だと知恵が出る
中途半端だと愚痴が出る
いい加減だと言い訳ばかり

本気でするから大抵のことはできる
本気でするから何でも面白い
本気でしているから誰かが助けてくれる

ネットで検索したら、作者不明の「正範語録」という詩であることがわかりました。その詞をかみしめていたら何という山なんかはどうでも良い。山を登りたいという想いを持った同志たちが、歩きたい道を歩く、ただそれだけのこと。だとしたら「最後は人」ではなく「最初から人」であることにも気がつくことができました。

ICTの発展により、すでに会社をはじめとするあらゆる組織体が、目まぐるしいスピードで変化が求められています。
私は、その際に最も大切な基準となる物差しこそが人であると信じます。変化を恐れず、事実に向き合い、今自分にできる小さな一歩を踏み出し続けられる人。なぜなら「物事は最初から人」なのですから。