我慢すること

投稿日:2019.12.29

恒例である年末の久能山東照宮参拝に行ってきました。

1159の階段を上りながら、今年1年を振り返る。
御神前に手を合わせ、徳川家康公の御遺訓を読む。
階段を下りながら、来年に向けて心を新たにする。

私にとって毎年の重要な節目となります。
ふと気がついたことは、家康公の御遺訓はどの節も感心するものばかりですが、毎年、自分が惹かれる節が異なるということです。

【家康公御遺訓】
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

今回の参拝で私が惹かれた節は「堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。」です。
この節は、我慢することが無事に長く安らかでいられる基礎で、「怒り」は敵と思いなさい。という意味です。

なぜこの節に惹かれたかと言えば、最近は「我慢はしなくて良い」という教えが一般的になっているためか、御遺訓に違和感を感じたからです。
それで思い出したのですが、子どもの頃はサッカーを通して「我慢することの大切さ」を教えてくれた大人がたくさんいました。怖い先生や先輩ばかりでしたが、生きる上で大切なことを教えて下さったのだと、心から感謝をしております。
30年近く携わったサッカーの中で、我慢強い選手は例外なく信頼され、いざという時にチームを救う場面を何度も見てきました。反対にサッカーそのものは上手でも、我慢ができない選手は、戦いの場では自らをコントロールできず、実力を発揮できない場面もよくありました。私のように下手くそで未熟な選手は話にならないのですが、それでも30歳手前くらいからは、相手に関係なく、今自分ができるプレーを我慢強く続けることは、自分の心の管轄の中でできることを理解できるようになりました。

改めて家康公の御遺訓を読み、「我慢することの大切さ」は400年以上前から変わっていないことに気がつきました。ということはこれからの時代も変わることのない真理なのではないでしょうか。
現代では、「我慢しなくて良いよ。そんなに頑張らなくて良いよ」と声をかけられることがあるかもしれませんが、それは優しさでしょうか。
「我慢することも大切だよ。一歩ずつで良いから歩んでいきましょう」と家康公の教えを信じ、邁進していきたいと思います。

結びになりますが、今年も大変お世話になりました。
皆様のおかげで、たくさんのご縁を頂くことができました。
心より感謝申し上げます。

来年も「ありがとう」と「おかげさま」を大切に、我慢強く歩んでまいります。
引き続き何卒よろしくお願いいたします。