大学の道は明徳を明らかにするに在り

投稿日:2020.10.25

子どもの頃、無邪気に遊びまわっている中で、学校の校庭や裕福そうな民家の庭先で、しばしば二宮尊徳先生の銅像と出会っていました。少年時代の私たちは、夜になると銅像が歩いていたぞ!等と噂して喜んでいたわけですが、そんな私たちに周囲の大人が二宮尊徳先生について真剣に語ってくれたことはなかったように記憶しています。

本当に恥ずかしいことですが、二宮尊徳先生が少年の頃に薪を背負いながら読んでいた本が四書五経の一つである「大学」であること、野の聖人と呼ばれる所以の農業改革の功績を知ったのは、いずれも35歳になってからでした。
無知な自分を恥じるのはもちろんですが、人間は「知りたい!成長したい!」というアンテナを自ら立てないと、大事なことを見過ごしたまま年齢を重ねてしまう怖さを感じました。コロナ禍の影響もあり、わざわざ海外や県外まで赴かなくても、自分が気がつけなかった教材が身近なところに山ほどあるのではないかとの考えが非常に強くなりました。個人的には良い傾向だと感じています。

大学の中に次の一句があります。
『天子より以て庶人に至るまで、壱(いつ)に是(こ)れ皆身を修むるを以て本と為す。』
これは、「身分の最高位である天子から下は庶民に至るまで、ひたすらに我が身を整えて徳を修める修身こそが根本なのである。」という意味ですが、二宮尊徳先生も近江聖人と呼ばれる中江藤樹先生も、少年時代にこの一句に深く感動し、「自らを鍛え続け、世の中に貢献しよう!」と決意したと伝わります。

大学とは、「世の中に良い影響を与える大人(たいじん)になるための学門」であり、最初に学ぶ目的について書かれています。
『大学の道は、明徳を明らかにするに在り』
この言葉を、私なりに次のように理解しています。
「大学を学ぶ目的は、天が授けてくれた人間の良心(天が是とするお手本の心)を明らかにし、自らの心を磨き続けること」

大学は原文わずか1753字です。その短い文章の中に、大人(たいじん)になるための心得が、非常にわかりやすくまとめられています。二宮尊徳先生や中江藤樹先生が極めて優れた人物であったこともあるかと思いますが、少年の時分に理解することができたところに、大学の素晴らしさがあるのではないかと感じています。
私の体はすっかり大人になりましたが、心はまだまだ小人です。年々、自分の勉強不足を痛感します。しかし、何歳からであろうと、自分の未熟さを受け入れ、意欲をもって学ぶことは大学の道に順じていると信じます。

良い本を読み、良い仲間と交わり、精一杯仕事する。
これは、天が是とする生き方の一つではなかろうかと思います。
天が是とする生き方を歩んだほうが、幸せを実感できる可能性が圧倒的に高いように思います。
人生の法則に沿って精進してまいります。