毎月楽しく購読させて頂いている致知出版社の素晴らしい担当者さんとの出会いがありました。
その出会いは私に縁の深いチームを本気で強化したい!という思いがきっかけでした。
この数年間、そのために何を手段としたら良いのか探し求め続けていました。その私なりの応えが致知による人間学教育です。
アポイントの合間に担当者さんと喫茶店で会話する中で興味深いお話を聴くことができました。それは、人が人になるためには2つの学問が必要であり、それは人の根や幹といった根幹を支える「人間学」と、枝や葉をつくる「時務学」という考え方です。
「人間学」とは、時代に左右されない学問。つまり、人間の徳である人への思いやりや愛情、困難に立ち向かう勇気、謙虚な心を学ぶことです。
一方、「時務学」とは、時代に即した知識や技能を学ぶ学問。つまり、経営学、専門知識、資格、スキル等を学ぶとされています。
この「人間学」は言葉にするには容易くても、実際に取り組もうと思っても適当な手段が見つからないものです。そんな中で、この致知による人間学教育は継続的に行うことが可能な貴重な手段だと感じます。
具体的な方法はシンプルで、毎月の致知を読み、自分が感じたこと、生きていく上で活かしたいと思ったこと等について感想を書く。そして、その感想を仲間と紹介し合い、率直に思ったことをシェアし合うというもので木鶏会(もくけいかい)と呼ばれています。
私もとある会社の社長様のご厚意により、毎月、社内木鶏会に参加させて頂いております。
これまでの人生経験の中で、いくら知識やスキルといった「時務学」を学んだところで、人間力といった根や幹がなかったら、枝や葉は充分に育たないのではないかと感じています。もしかしたら他の国では人間力は宗教により培われているのかもしれません。日本も昔はそうだったのかもなあと妄想が膨らみます。
昨日は都内でスタジオをお借りし、ある企画でチャレンジを続ける同郷出身者6人の取材を行いました。表現の仕方は違うものの共通して仰っていたのは、「故郷や家族を大切にすること」、「目の前の一人に喜んでもらうために、自分が成長し続けること」でした。人を魅力的に感じるのには理由があります。その理由は枝や葉にはなく、常に根や幹にある。そんなことを痛感した1日でした。
1年、2年では花は咲かない。5年、10年、20年。これからも致知を読み続けていこうと思います。