フットサルでリフレッシュ!

投稿日:2020.11.15

古巣の教育委員会社会教育課からご依頼を頂き、9月より隔週で「フットサルでリフレッシュ!」の講師を務めさせて頂いております。
私はフットサル・サッカーとは随分ご無沙汰していましたので、講師として適任ではない旨をお伝えしたのですが、担当者様のコロナ渦でもチャレンジしたい!という熱意に共感し、お引き受けさせて頂きました。
とはいうものの、私1人のサポート体制では受講者様に申し訳ないので、ガイナーレ鳥取でプレイヤー及び指導者として活躍された同級生の堀池勇平さん、弟の大道桂三さんにご協力を頂き講座を運営しております。お二人のおかげで、私も受講者の皆様と一緒に楽しい時間を過ごさせて頂いています。

今回のご縁を契機に、久しぶりに「社会教育」について考えが巡りました。私が社会教育に出会ったのは約13年前に富士市社会教育課に配属されたのがきっかけでした。当時の上司・先輩から教わったことを整理すると、「社会教育とは学校教育と家庭教育に属さない地域で行う教育である。異年齢の人間交流や非日常体験を通して生きる力を育むことである」と理解しています。
そして、富士市を代表する青少年を対象とした社会教育事業「富士市青少年の船」や「キズナ無限∞の島」という、たくさんの熱意ある人間が関わってた事業に参画できたのは非常に幸運でした。社会教育との出会いがなければ、今の自分は存在しなかったと思います。

そして、もう1つ自分の中で気がついたことがあります。それは、社会教育の捉え方が13年前と大きく変化したことです。
当時は、柱となる日本人の教育は学校教育と家庭教育である。しかし、その二つの教育だけでは人づくりは完結しないため、社会教育が補助的な役割を果たすのだという認識をしていました。
しかし、今は全く違います。まず教育の根幹にあるのは我(自分)をつくること。学校教育、家庭教育、社会教育のいずれも立派な人物となるための手段である。どれも重要な手段ですが、学校教育や家庭教育はある一定の期間が定まっているのに対し、社会教育は一生涯続きます。13年前の私は生涯学び続けることの大切さを軽んじていたのではないかと思いました。

大学を卒業したばかりの22歳の自分を思い出すと、恥ずかしい程に未熟極まりない人間でした。今ももちろん未熟なのですが、仕事や様々な方から学ばせて頂き、多少はましになりました。社会の中で成長を遂げている同士が私の周りにもたくさんいます。社会人になってからの学びでその人の運命は大きく変わると信じています。

安岡正篤先生は、立派な人物になるための2つの方法を教えてくれています。

①古今の優れた人物に学ぶこと。
同世代で優れた人物だと思う人のもとで学ぶのが効果的であり、身近にそういう人物が見当たらない場合には、偉大なる人物が魂を込めた本から学ぶのも良いと仰っています。

②あらゆる人生の経験を嘗(な)め尽くすこと。
社会教育が異年齢交流や非日常体験を大切にしていることも理解できます。個人的には楽しい経験より、苦しかった経験のほうが大変ではありますが、大きな学びが得られるように思います。

毎日がはじまりです。今日できることを精一杯積み重ねていこうと思います。

Menu