なぜ、社労士になったのか

投稿日:2022.03.27

今年に入り、「社労士資格に興味があるのですが、どのような資格か教えてほしい」や「社労士資格を取得したのですが、今後どのように資格を生かしていくべきかアドバイスしてほしい」という方が、数名事務所にお見えになりました。

私も創業期は同じような関心を抱いていましたので、相談者の気持ちはよく理解することができます。経験の浅い私の話が参考になるかどうかはわかりませんが、訪問して下さる方に誠意を持ち対応をさせて頂いています。

そのようなお話をする中で、必ずご質問頂くのが「なぜ、社労士になったのか」です。私の立場からすると、積極的に伝えたいと思うような内容ではないのですが、これから社労士を目指そうと考えている方にとっては、興味ある内容であることが分かってきました。
そこで、少し恥ずかしいのですが、私が社労士になった経緯をご紹介させて頂きます。誰かのお役に立つことがあれば幸いです。

私が社労士を志すことになった日は平成26年8月15日です。
当時、私は富士市役所に勤務しており、教育委員会社会教育課に所属していました。その頃は、130人程の中学生や高校生と一緒に、宮城県気仙沼市にある大島にて5泊6日の体験型交流事業「キズナ無限∞の島」の担当をしていました。

記念すべき第1回開催ということもあり、指導者には、会社経営者、企業の社員、学校教諭、市職員等、様々な分野から熱意のある方々が集まりました。そして、事業目的を「一生懸命生きることの大切さ」、「キズナの大切さ」を共に学ぶことに決定しました。
平成26年8月11日に富士市を出発し、12日に気仙沼大島に到着しました。東日本大震災で多くの命が犠牲になった場所での研修を通して、「研修生に一生懸命生きることの大切さを言葉で伝えているが、かく言う自分は一生懸命生きているのか?」という問いが、頭と心から離れなくなりました。

そして、8月14日の夕方の体育館で行った全体での勉強会で、津波により家族が犠牲になったお母さまのお話を伺い、今、生きていることに心から感謝の気持ちが湧き出てきたのを覚えています。そして、1回きりの人生が終わる時に、私は一生懸命生きた!と自分ではっきりと言えるような人生にしたいと強く思い、市役所を退職して独立することを決意しました。

翌日8月15日、独立を志した最初の朝を迎えました。その日に、偶然にも一緒に活動をさせて頂いた指導者こそが社労士の方でした。帰りのバスでも10時間近くご一緒させて頂き、研修生に対するメッセージを通して、生きる・働くことに対する考え方、自ら起業されて事業や社員を育てきたこれまでの経験談をお伺いし、馬鹿のつくほど素直な私は「これだ!私も社労士になろう!!」と決意し、帰宅してすぐに通信講座に申込みをしたのでした。

気仙沼大島に出発をした8月11日には、独立しよう!という強い想いはありませんでしたし、社労士がどんな仕事をしているかもほとんど知りませんでした。「キズナ無限∞の島」は私の人生を変えた重要な転機でした。今、振り返ると何か不思議な力が働いたようにも感じます。これが、私が社労士を目指した経緯です。

その後は、約2年間の受験勉強期間を経て平成28年11月に社労士試験に合格。平成29年9月に労働社会保険諸法令関係事務指定講習を受けて平成30年3月に富士市役所を退職。平成30年4月に社労士オフィスろーどを開業しました。

社労士としての知識や実務経験がほとんどない中でのスタートでしたが、多くの皆様から本当に温かいご支援を頂きました。おかげさまで私1人でスタートした個人事務所も、現在は5人となり、チームで顧問先企業の労務支援を担当させて頂けるようになりました。

これからも社労士を目指した初心「一生懸命生きること」を忘れることなく、自分だけでなく社員と共有を図り、目的の実現・目標の達成に向けて地道に歩んでまいります。

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