450年前も働き方改革!?

投稿日:2018.11.11

私のロールモデルらしい織田信長公の足跡をめぐる旅#2は岐阜編です。#1清洲編に興味がある方はこちらをどうぞ!
最近、起業を考えている方からのご相談が増えました。その中でよくあるのが「起業はしたいです。ただ何を商売にするか迷っているんです」という内容。正直、そういうものなのかなあと感じていた中、出張ついでに立ち寄った岐阜城からヒントを得ました。

岐阜での打合せが終わり、パッと顔を上げると視界に岐阜城が。せっかくだからとレンタサイクルを走らせて歩いて登ることに。思った以上に過酷な登り坂に驚きましたが、当時の武将たちは甲冑をつけて登ったのですから、先人の皆様には頭が下がります。

標高329メートルの金華山の山頂付近に岐阜城はありますが、不思議なことにロールモデルを見つけると無性に一緒に写真が撮りたくなります。その後、展示を眺めていたらあることに気がつきました。それは、信長公は34歳の時に故郷である尾張を離れ、居城を岐阜城に移していることです。武田信玄公、上杉謙信公、毛利元就公等、名だたる強豪武将達が何より慣れ親しんだ拠点を大事にした中で、信長公は生涯に5回も居城を移しています。

それは、信長公が目的である天下布武のために、ベストな手段である居城を選択していたからに他ならないと思います。
そのような視点からみると、信長公が行ったとされる次の取組も、強い目的思考から導かれていることが理解できます。

・兵農分離という組織改革
・徹底した能力主義による労務管理
・成果に加担しないもの(旧習や制度など)を潔く排除する効率性
・楽市楽座の開設 など

これって、まさに450年前の働き方改革だと思いました。
何を仕事にするかという手段より、何のためにするのかという目的が大事。手段は目的を達成するために絶えず変化させていくべきなのかもしれません。だとすると働き方改革の肝は目的思考であり、それをわかりやすく表した代表的な例が「労働は“時間”ではなく“質”である」ということなのでしょう。極端かもしれませんが「今日の仕事のミッションを達成したら、いつ帰っても良いぞ!」というルールになったら、半日で帰る人もでてくるかもしれません。さらには、早く帰った人の方が給料や昇進にプラスになるとしたら・・・。日本は生産性の向上を目指し徐々にではありますが、確実にその方向にシフトをしています。様々な意見はあるでしょうが、信長氏も生産性を重視していたように思います。

帰りのルートでこんな看板を発見。当事務所の基本理念は「今日も歩きたくなる道づくり」。ありがとうの一言が周りを明るくする。おかげさまの一言が自分を明るくする。一人でも多くの皆様の歩みを明るくできるよう邁進いたします。