お盆は恒例となった宮城気仙沼大島で開催される浦の浜花火大会に行ってきました。これまではフェリーで島を渡っていましたが、今年は念願の気仙沼大島大橋が架かったため車にて入島しました。そして今回で42年間続いた浦の浜花火大会は終了となりました。
花火大会の主催である浦の浜商店会の皆様は、東日本大震災の際には甚大な被害に遭われています。それにも関わらず、全国各地でお祭りが自粛される中、被災地のど真ん中から「負けないで花火をあげてみんなを元気にしよう!」と震災の年も花火を打ち上げました。
その志に心を打たれて少しでも協力したいという仲間が、毎年、県外からも足を運んでいました。微力ながら私もその一人でした。
なぜ花火大会を今年で最後にしたのか。真相は分かりませんが、花火大会の翌日に浦の浜商店会の菅原弘会長はこう仰っていました。「橋も架かかり大島も変わらなくてはならない。また新しいはじまりだ。」私は浦の浜の新しいはじまりのために、きっと色々と考えた末に、自ら終わりを選択したのだと思いました。
私は終わり(別れ)の数だけ、はじまり(出会い)があると思っています。そして、出会いの数だけ人は成長し、豊かになれると信じています。
学校であれば、小学校6年間、中学校3年間などと決められており、どんなに嫌でも終わりを迎えなくてはなりません。しかし、その苦しい終わりの先には、また素晴らしい出会いがあるというのは人生の中で多くの人が経験したことだと思います。
しかし、大事なのは、学校の終わりは【人が決めたもの】であり、【自分が決めたもの】ではないということです。本来は全ての人生の終わりとはじまりは自らが選択するものであるはずです。しかし、私たちは何となく学校のように誰かが終わりを決めてくれるような錯覚に陥っているように感じる時があります。人が決めた終わりと、自分で決めた終わりは全く性質が異なります。自分で決めた終わりの根っこには、夢や希望や志のようなものが必ず存在しています。それこそが新たな出会いの種であると私なりに考えています。
気仙沼大島に来るたび、人生は一度きりであるという気持ちになることができます。さらなる復興に向けて60を過ぎた諸先輩方が新たなチャレンジを決意しました。私も負けないよう邁進あるのみです!